八幡原飛行場業務日誌

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復活!モデラーへの道 (2)

「復活!」というのはいいけれど、では、もともとはどのような状態だったのか考えてみようということで、昔話からはじめてみよう。

○プラモデル事始

プラモデルは、幼稚園の年長の時に、父親に作ってもらいました。
スケールのない、だいたいの大きさのものだったように思います。
銀色の小さな、ボーイングB-29のことは覚えています。それよりまえにプラモデルに関係したのかは、なにしろ幼稚園のことなので、記憶が無い部分があります。ですから、覚えているのは、まずB-29からです。たぶんその前に零戦とか、触っているかもしれませんが。
そのB-29は、本体と翼は銀色のモールドですが、旋回機銃が、黒のモールドで2個くらい、ついていました。記憶があるのは、旋回機銃は、胴体を組むときに、挟み込んで組み立てて、あとで、回すこと、つまりは旋回できる構造なのですが、作るときに、組み立て図を良く見なかったのか、胴体接着後になんとかしようとしたので、回らずに、固定されていました。それは残念です。
それを手に持って、ブーンとよく遊んだので、主翼が付け根から折れて、何度かセメダインで付けなおしてもらいました。
当時は、今と違って、ブリキのおもちゃより、プラスチックのほうが、高級な感じがしましたし、細部まで精密な感じなので、こどもとしては、気に入っていました。
幼稚園のときは、まだ作るのが難しいと思って作りませんでした。これを作ったのは、父でした。


つづく