八幡原飛行場業務日誌

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復活!モデラーへの道 (6)

○むかしの状況 「小学校三年」編

小学校3年の時だと思います。近所で火事がありました。早朝でした。
親に、「火事だから、逃げろ」と、言われて、あわてて、机の上にあった、
プラモデルをつかんで、逃げようとして、しかられた覚えがあります。
その時は、命の次くらいに、プラモデルの飛行機が好きだったのかもしれません。
その飛行機は、日本機だったように覚えていますが、なにだったかなあ。機種は覚えていません。

小学校の時の、プラモデルは、三年生のときだと思いますが、最後に、田宮の1/50の彩雲の半分クリアーにできる、クリアー部品も入っているものを作っておしまいでした。
なぜか、そのあと、ぷっつりと、プラモデルをやめました。
たぶん、プラモデルより、漫画を読むほうに興味が行って、漫画雑誌を買うので、お小遣いを使ってしまうからと思います。
漫画雑誌を買うことは、小学校6年生まで続きました。
ところが、中学校に入って、なぜか、ぷつりと、漫画雑誌を手にしなくなります。なぜか漫画に興味がなくなります。そのあともずっと漫画に対する興味がわきません。不思議です。

小学校の時代のプラモデルは、はじめのうちは、ランナーからパーツを手でちぎって、はじめからついているチューブの接着剤で組み立てて、塗装はまったくしないで、デカールを貼り付けるというぐあいです。
接着のときに、指に接着剤がついたまま、手に部品を持ったりしたので、接着剤の指紋がべたべたとついたことが多い仕上がりで、きれいではありません。だいいち、きれいに仕上げて、ひとと比べるなんていうことは、まったく考えていないので、母親が「仕上がりが汚い」とよく怒っているのがまったく理解できませんでした。
プロペラ機が多いので、できあがって飾るというより、それで遊ぶので、だいたい、脚やプロペラは折れてなくなりました。それでも楽しかった覚えがあります。

飛行機以外のプラモデルは、戦車のモーターで動作するものも、いくつか作りましたが、配線が指でネジってのカラゲただけだったり、ギアの部分にグリスを塗るなんてことも無かったし、うまく動作しないことも多く、戦車はどうも、うまく作れないなあと思い、メインは飛行機でした。

つづく