八幡原飛行場業務日誌

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発掘した遺物 組立図編 (1)

・発掘した遺物 組立図編 (1)

いろいろと発掘して行き、紙モノも発掘した。
今後に生かせるものではないが、昔の思い出として、weblogにあげておこう。

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小学校一年で、はじめて自分で作ったプラモデルは、マルサンの1/100 Ju87Bだ。
価格は50円だった。

父が海軍航空兵の練習生だったので、だふん父は、急降下爆撃に興味があったのだろう。終戦間近の厚木基地に、急降下爆撃機があったかどうかは、聞かなかったが、知識としてはあったと思う。
九九艦爆なのか、彗星艦爆なのか、流星なのかわからないけれど、あたまの中にあったのだろう。それで、Ju87の話も父から聞いた。だふん帝国海軍のなかでもJu87の話は語られていたと推測できる。

組立に関することは、表側だけで、裏側には宣伝しかないけれど、裏もあげておこう

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たぶんデカールは国籍マークとハーケンクロイツだけだったと思うので、デカールや塗装についての説明は無い。
箱絵と、この組立図のみで貼り付けろということだったと思う。

Ju78Bのあとに、なにを作ったかは記憶が無いので、このあとの順は、とくに何の順に並べる気も無いが、ドイツ機つなかりで、もうひとつ。
おなじくマルサンの1/100 Me109Gだ。

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今は、たぶん定説としてBf109Gと書くのだろうが、当時はMe109の方を多く使ったと思う。
よくよく見ると、キャノピーの形状からするとエルラハウベというやつなので、通常のG-6のモデルでは内容に思うのだが、それについては書いていない。
実は、エルラハウベのほうが、金型が作りやすかったのか? はたまた、パクッったもとの海外メーカーのが、これだったのか。

これも、裏面をあげておこう

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残念ながら、組立図は捨てずにとっておいたが、箱を捨ててしまった。それについての理由は覚えていない。今考えれば残念だ。

(次の遺物につづく)


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